「課題の分離」って、他者に対して冷たいって思われるよね。
大ベストセラーになった「嫌われる勇気」にも「課題の分離」が記されているくらい、アドラー心理学の中でも有名な言葉だね。
日々、生活していると些細な選択が沢山ありますよね。
そのたびに、相手のこと(家族・ママ友・コミュニティー内など)を考えて「こうした方がいいのではないか」と思い、よかれと思って言動にしたりすることはありませんか?
相手が望んでいることであれば、とても有難いことなのですがそうでなければ、有難迷惑になることも。
他者とよりよい関係性をつくり上げるためにも「課題の分離」のコツ、そして「課題の分離が冷たい」わけではないということを紹介していきますね^^
「課題の分離」ができない
自分ができることだったら相手を助けてあげたいって思いから、後先考えずに行動してしまうんだよね。
誰しも、「相手が困っているんじゃないか」「私がやった方が相手にとって助かるのではないか」と相手のためになるっと思って、やってしまいます。
困っていそうなのに、見てみぬふりをするって、なんだか冷たい感じがしますよね。
だからこそ、相手のためになると思って相手の代わりに動いたり、決断をしたりすることが。
自分が相手にとっていいことをしたと思っているからこそ、感謝の気持ちがあるとほんとうに嬉しいですし「やってよかった」って自己肯定感も上がります。
なぜ人は「課題の分離」を冷たいと思ってしまうのか原因は何?
まず「課題の分離」とは、どういうことなのか説明するね。
「課題の分離」とは、自分の課題と他者の課題を分けること。
アドラー曰く、「あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込む事(あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること)によって引き起こされる」とのことです。
「課題の分離」を冷たいと感じてしまう原因は、「共同の課題」と区別ができていないからだよ。
「共同の課題」って何?
「共同の課題」というのは、「他者の課題」であっても他者が「お願い、助けて!」と求めてきた場合、「課題の分離」をしなければいけないからといって「それは私の課題ではないからできない!」と冷たく断るのではなく、相手が何等かの事情でヘルプと声に出しているのであれば、他者に手を差し伸べるというものです。
仕事や家族、なんらかのコミュニティーに所属していれば、「共同の課題」に直面することが多いですよね。
例えばこちら。
子供が学校の宿題が難しくて何分たっても終わらなく落ち込んでいます。
その姿を見た母親は、子供の側に行き宿題を見て「難しそうね」と声をかけるだけにとどめました。
少し遠くから、宿題と向き合っている子供の姿を見守ります。
・・・・
数分後
「ママ、わからないから教えてほしい」と子供から母親に声がかかりました。
そこで初めて、母親は「どこの部分がわからいの?」っと子供と一緒に宿題を解き始めます。
このように、子供が自ら助けを求めてくるまで様子を見守っています。
宿題は、子供の課題であるためどんなに難しい問題であっても子供から「教えて欲しい」と声がかかるまでそっとしておくことが「共同の課題」。
一見すると、「課題の分離」をすることで冷たい母親の対応と感じてしまうかもしれません。
そして、母親からつい「難しそうだね、教えてあげようか」という声がけをしてしまうというパターンが多いのではないでしょうか。
このように子供の「課題」にも関わらずよかれと思って先に声をかけてしまうことは、場合によっては有難迷惑になってしまうことも。
もしかしたら、子供が「どうやったら解けるのか」考えている最中なのかもしれません。
しかし、例外もあります!
「大丈夫?困ったら相談してね」っと声をかけるのは、子供の課題を邪魔しているわけではないので問題はないです^^
そこを踏まえて、見守るということは他者のことを考えていないわけではありません。
むしろ、他者のことを心の中で「大丈夫かな」っと遠くから見ていることで、いつでも声がかかれば助ける準備はできている状態なので、「課題の分離」をすることが冷たいわけではないです。
「共同の課題」を上手く取り入れることで他者との「課題の分離」が成立します。
課題の分離のコツ!主婦の私が実践している方法
その課題の責任は最終的に誰が責任をとることなのか。
または、その課題の結論を出すのは最終的に誰なのかを考える必要があるよ。
その時の感情に任せての言動は危険ということだね。
「課題の分離」のコツ、私が実践している方法はこちら。
- 頼まれた物事にすぐ返事をしない
- 余裕を持つ為に他者と対等な関係でいる
- 何かあった時に責任がとれる存在であること
- 自分に自信を持つ!「課題の分離」が出来ていない人とは距離をおく
①頼まれた物事にすぐ返事をしない
「課題の分離」のコツ1は、頼まれた物事にすぐ「YES」の返事をしないです!
まずサポ吉の言葉の通り、頼まれた物事について「最終的に誰が責任をとるのか」を考えます。
Aチームの上司から「10月25日に会議がしたいから、手があいてそうだから部屋を取っておいてくれないか」と頼まれ、Bチームの私が「はい、わかりました」と返答するとします。
↓
10月25日は、残念ながらCチームがその部屋を使うことがわかり、予約できませんでした。
さらに違う日もその部屋は違うチームの予約が入っており、使える日は2週間後です。
↓
頼まれたBチームの私は、2週間後に部屋を予約することができません。
なぜなら、Aチームに所属しているわけではないから、そこまでの権限がないのとAチームの人たちの予定を知らないからです。
自分とは関係ないチームの部屋の予約をしているので、Aチームの上司に結果報告とどのようにしたらいいのかと聞きに行きます。
このようなやり取りを見て、二度手間なことをしているなと思いませんか?
私にが会議室の予約を頼んだ上司は、完全に誰の課題なのか区別がついていません。
最終的に日程の段取りを決めないといけないのはAチームの上司、もしくはAチームの誰かが段取りを組む必要がありますよね。
誰かに何かを頼まれると「いいよ」っとすぐ答えてしまう気持ちはよくわかります。
しかし、このようなコミュニケーションを取っていると火のないところに火がつくことが多いです。
そのため他者から何か頼まれた時は、まず一呼吸おくようにしています。
頼まれた物事に対して「これは私がやることではないな」だから「NO」を言っても「課題の分離」の上では冷たい選択をしたわけではないので大丈夫です!
さらに、私自身も誰かに何かを頼む時は本当に他者にしてもらわないといけないことなのか。
自分でできる範囲内に収めることができないのか、よく考えてから人に頼むようにしています。
②余裕を持つ為に他者と対等な関係でいる
「課題の分離」のコツ2は、他者と対等でいることが「課題の分離」につながると考えています。
たとえば、親子関係において親と子という関係において、「親の方は色んな経験をしてきて偉いんだ!」「親の言うことは絶対!」とマウントすることで親の価値観を子供へ求めてしまうシーンをよく見かけます。
我が子であっても子供の人生であるので「他者の課題」です。
そのため、子供の課題にいくら親だとはいっても、立ち入りすぎるのはよくありません。
親と子という立場であっても対等でいること。
そうすると子供の選択を尊重できますし、本当に困った時に手を差し伸べる余裕を持つことができます。
親子関係の他にも仕事での先輩後輩、コミュニティーにおいて入った順番で上下関係がつくりあげられることがあります。
ただ、「先に生れたか」「先に入ったか」の違いだけで「他者の課題」にも関わらず価値観を押し付けたり、土足で踏み入ることは他者に失礼です。
どんな立場であっても、対等でいることで色んな意見を聞くこともできます。
さらに、私にとっては学びを得られることが多いので、私はどんな立場の人であっても対等にいるようにし、何かあった時にはいつでも手助けできる準備は万全です^^
③何かあった時に責任がとれる存在であること
「共同の課題」とは、相手が本当に困っている時に「助けてほしい」と何らかの言葉があった時に手を差し伸べることだったよね!
「課題の分離」のコツ3は、他者から物事に対して「助けてほしい」「協力してほしい」と何らかの言葉があって、はじめてこちらも行動にうつします。
しかし、その時に①の「誰の課題なのか」を明確にした上でことを進めていかないと、いつの間にか「他者の課題に土足で踏み込んでいる」場合が。
そのため、「共同の課題」に取り組む時は、協力する目的を互いに明確にした上で「他者の課題」に踏み込み過ぎない、責任ある行動をしなければいけないです。
本来は物事を手助けすることが重要ではなく、親子関係や仕事の部下においても最終的に何かあった時は、必ず助ける、責任がとれる存在であることの方が重要だと私は思っています。
④自分に自信を持つ!「課題の分離」が出来ていない人とは距離をおく
「課題の分離」のコツ4は、「課題の分離」は、自分に自信がないと「他者の課題」と「自分の課題」の分離が難しいと思っています。
「他者の課題」をついしてしまう人の特徴は、よかれと思ってやっていることが多いです。
その理由は、自己肯定感が低いことに原因があると私は思っています。
自己肯定感が備わっている人は、わざわざ「他者の課題」に自ら首を突っ込まなくても心が満たされているからです。
自分の価値は自分が知っていればいいことですよね。
頼まれてもいない「他者の課題」をすることで、自分の価値を満すのは自分に自信がない証拠です。
他者は「私、こうやろうと思っていたのに、先にやってくれたんだね」っと口にはしませんが心の中で思っていることがほとんど。
これは、まさしく「課題の分離」と「共同の課題」が出来ていないから起きています。
「他者の課題」の区別が出来ていない人の行動でおそらく、他者は「○○さんが気を使ってやってくれたんだな。私、気が利かないからダメだ」「もっと気が利くようにしなくては!」と自分の行動を反省します。
このように、他者の自信や自己肯定感まで下げていることになるのです。
「他者の課題」にも関わらず対応した人は、皆のためにしたこと。
「課題の分離=冷たい」と無自覚に認識し、皆のことを思ってやっているようで、自分がどうみられるかに矢印が向いているのです。
「課題の分離」が出来ていない人との関わりは、自分に自信がなくなる要素も持ち合わせているので、自分のためにも私は関わらないようにしています。
まとめ
つい人がやってしまいがちな、よかれと思って他者のためにやることは、のちに無理が生じて自分の首を絞める行為でもあります。
「課題の分離」は、冷たい態度をとっているわけでなく、他者が「協力してほしい」「助けて!」と声がかかり、初めて「共同の課題」を他者と一緒に行うことが、もっとも大切で重要なことです。
私が実践している「課題の分離」のコツ。
- 頼まれた物事にすぐ返事をしない
- 余裕をもつ為に他者と対等でいる
- 何かあった時に責任がとれる存在でいること
- 自分に自信を持つ!「課題の分離」が出来ていない人とは距離をおく
「課題の分離」が出来ると物の考え方に変化が生まれ、自分の人生において学びの多い気づきも得られます。
学びは、年齢も上下関係も全く必要なく、生きている限り必要なことだと考えているので、自分の価値を高める為にも「課題の分離」は必要不可欠なことなのです^^